精神医学的診断は必要か?

DSM5でもカテゴリカルな診断は残しながらも各疾患は連続しているという見方を取っている。

個々の人に診断を当てはめて治療方針を立てる、という医学一般ではある程度有効な手法が精神科に馴染まないことは個人的には以前から感じている。 たとえば、過去に境界型人格障害、双極性障害、統合失調症などと診断され、診断が変わるごとに薬が変わってきたが一向によくならない、それどころか薬が単に変更ではなく追加されて多剤併用になっている、ということも多い。 1つを除いて誤診、というのなら分かりやすいが、そうではなく、どの診断もそれぞれ確からしく見える。操作的診断基準も満たしそうだし、発病状況や経過などを加味する従来の診断でもどれもまちがいとは言えない。

実際にそのような患者さんを経験したことがあるが、私はそれで特に困ることはない。なぜなら、診断によって治療が変わるとは考えていないからだ。

薬物療法を行う場合でも、上記のような多剤併用にはならない。そもそも向精神薬は疾患に対してではなく症状に対するものであり、疾患特異的な処方がある訳ではない。ターゲット症状を明確にして効果を的確に評価すればよい。

それ以上のこと、たとえば「統合失調症なら生涯服薬が必要」というかつて考えられていたことは根拠が乏しくすでに過去のものとなっている。

そして非薬物療法や広い意味での支援を考えれば、診断の持つ意味はさらに低い。その人の抱えている問題、医療が介入するポイントは疾患それ自体ではない。古きよき精神医学に固執する高木俊介でさえ、「疾患障害モデル」と言い、困難は「障害」に関連していると言っている。私たちと彼の視点は異なるが、問題はその人の生活上の困難(disability)であり、苦痛(distress)なのだ。それに対するサポートは診断によって異なる訳ではない。

もし「診断」が必要ならそれは精神医学的診断とは別の何かなのだろう。東俊裕氏が以前言われていた、障害の社会モデルに基づいた障害分類、ICFに代わる当事者のための分類というアイデアを連想する。もちろん最終的には一人ひとりに合わせた支援が必要だが、支援の方向性を発見するためにはそうした分類は役に立つかもしれない。

「プライマリケアから見た精神科薬物療法」

多剤併用(polypharmacy)について発表したことがある。今から7年前、S氏に誘われて精神神経学会でシンポジストを勤めた。この学会に行ったのはこのときだけ、そもそも会員になったことは一度もない。

そのときのスライドを発掘したので見返してみた。タイトルが「プライマリケアから見た精神科薬物療法」となっているのは、当時は在宅医療が仕事の中心だったこともあるが、向精神薬の身体や生活への影響を訴えたかったのだと思う。

今ならもう少し別の論じ方をするかもしれないが、これはこれで悪くない。特にPillayの2002年の文献から引用したpolypharmacyの要因(10枚目のスライド)が15年後の日本にも当てはまることに苦笑。卓見と言って済ませてよいのかどうか。

今の観点も加えて、このスライドをもとに改めてpolypharmacyについて考えてみたい。

追伸:polypharmacyを「薬漬け」と言うと一般市民には通りがよさそうだが抵抗がある。一方「多剤併用」はメディアでは使われてないように思う。どういう訳語がいいのだろう。

「ポスト精神医学と障害の社会モデル」

障害学会第14回大会で「ポスト精神医学と障害の社会モデル」と題して発表することにした。

研究報告 1-3

抄録は提出したが、25分(うち5分は質疑)の発表の準備はこれから。8,9月はクリニックの立ち上げに忙殺されてそれどころではなかった。

過渡期を生きる医療者としてわれわれの実践はいかにあるべきか。本報告はその理論的基盤を探る試みである。

と言っているように、実践することに関心がある。クリニックちえのわでの医療はその出発点であり、橋頭堡としたいが、実践の射程ははるかに長い。

当然われわれの実践も医療の場で完結することはできない。そこを拠点として、TICを社会のあらゆる地点あらゆるレベルへ展開することが課題となるのだ。

抄録ではTICとしたが、「ケア」では狭く捉えられてしまう可能性がある。TIA、すなわちトラウマインフォームドアプローチと今後は呼ぶことにしたい。

発表の準備の過程はこのブログに公表して行く。